追憶の全英オープン(篠崎 春彦)

全英オープンヨーロッパ&東欧・中近東

コロナ雑感 その7
   「追憶の全英オープン」       篠崎 春彦

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、サッカー、テニス、バスケット、野球、ゴルフなど世界的スポーツイベントが延期または中止に追い込まれている。6月末から7月はじめに行われる予定のウインブルドンテニスと全英オープンゴルフは中止となった。とりわけ全英オープンの中止は、僕にとってひどく残念なことであった。

(全英オープン観戦記:下記をクリック) http://lschp.pro.tok2.com/shinozaki/2004the_open_kansen.html

僕の趣味の一つにゴルフがある。27才ごろ始めたのでかなりのキャリアがあることは間違いない。しかし、サラリーマン時代は月2~3回もプレーできればよい方でそれほど熱中できる環境になかった。

定年間近になり、年老いた両親の介護のため実家で暮らした。母親は老人ホームにお世話になっているので直接介護することはなかった。父の食事の支度や身の周りの世話をするのが、主な仕事であった。はっきり言って暇であった。実家の近くにゴルフ場がある。新千葉CCは車で5分。東千葉CCは10分とゴルフをするには恵まれた環境にあった。加えて子供の頃の仲間が大勢いる。みんなゴルフ好きである。ちょくちょくゴルフのお誘いがかかる。僕は上記のゴルフコースのメンバーとなり仲間に入れてもらった。それからは熱心にゴルフに取り組んだ。

1日おきにゴルフ場に足を運んだ。その間にも練習場(ドライビングレンジ)でスイングチェックをする。まさにゴルフ中毒の生活をしていた。ある日、練習場で座席の前を見たら故大橋巨泉氏が練習をしていた。さすがに上手い。ボーリングもプロ並だし、何をやらせても一流である。氏はゴルフ場の近くのレイクサイドヒルに居を構えていた時期があった。僕の腕前といえば、もともと不器用なのか、ゴルフのセンスがないのか、努力に比例した上達は望めなかった。シングルプレーヤーにはまだまだ時間がかかるようであった。ちなみに大橋巨泉氏とその後輩、小倉智昭氏は東千葉CCのメンバーであった。

話はかわる。僕はゴルフ発祥の地スコットランドでリンクスゴルフを体験したい。そんな気持ちは若いころから抱いていた。それを実現するきっかけになったのは、サイパンでゴルフを楽しんだときであった。シーサイドコース特有の強風の中をプレーした。風に負けないドローボールも打てるようになったからだ。なんとしてもリンクスでゴルフがしたい。そんな熱い思いが込みあげてきた。そして旅立った。この旅の主要なテーマは全英オープンの観戦と名門のリンクスゴルフを訪ねることであった。最初は皆とワイワイ楽しみながら行くことを考えていた。だが、突然思い立っての計画に仲間が集まらなかった。結果として一人旅になった。

英国とアイルランドの海岸地帯には、「リンクスランド」と呼ばれる起伏に富んだ広大な砂丘地帯がある。農耕には適していないのにゴルフには最適という不思議な大地だ。
僕はこれまで、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの海外のゴルフ場でプレーしたことがある。しかし、リンクスほど熱く燃え興奮したことはなかった。なぜそんなにリンクスに惹きつけられるのか不思議だ。多分それは神の創った自然の美しさが、心を揺さぶるためかも知れない。
遠い異国に約一月過ごしたが、少しも不安を感じなかった。むしろ達成感に満足していた。もともと放浪好きの僕は、20代の頃よく単独行の山旅を楽しんだ。一人で行動することに慣れていたためかも知れない。当初ゴルフ場を予約するのに、一人で大丈夫なのか心配したが全く問題が無かった。スコットランドのゴルフ場はたいていビジター歓迎、「お一人様」OKである。また、片言の英語ながら現地の人と交流し、いろいろな親切を受けたことは忘れられない想い出になった。

ともあれ、自由気ままな一人旅はすこぶる快適であった。そのポイントは十分に時間をとりのんびりと行動したことにあったと思う。時間に余裕があれば多少のトラブルにも落ち着いて対処できる。また、一人なら思い立ったときに好きなところに行けるし、マイペースで気軽に予定も変更できる。世間のしがらみから束縛されず、自由気ままに振舞える。これが、一人旅の醍醐味では無かろうか。
ところで、このまま順調にいけば、リンクスの魅力にはまった僕は、3年くらいすればスコットランドにロングステイをしてリンクスを堪能していたであろう。世界のゴルファーの憧れる、スコットランド最北の“ローヤルドーノッホ”でもプレイしていたかも知れない。しかし、人生はそう自分の思うように行かないことが多い。それが世の常の習いと受け止めなくてならざる状況が起こった。
2007年のことである。テニスのプレイ中に突然脳梗塞に見舞われた。テニス仲間の機敏な連携で、血栓溶解治療(t-PA治療)を施術することができた。この治療は時間との戦いで、発症してから3時間以内に処置しなくては効果が少ないとされている。(最近では4.5時間に延長された)僕の場合はかなり重篤な症状で、少しでも治療が遅れたら、後遺症のみならず一命も落とすところであった。けれども運よく、18日間の入院加療で後遺症も残らず、普通の生活を送れるようになった。

しかし、一見後遺症がなさそうであったが、左小指に痺れが残り、指全体の動きがぎこちない。パソコンのブラインドタッチができなくなり、ゴルフもパターが上手く使えなくなりスコアがまとまらない。それでも1年ほどゴルフは続けていたものの、翌年に断念した。とはいえゴルフの思いは断ち切ることができず、TV中継はよく見ている。もちろん全英オープンは毎年楽しみにしている。

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